2010/03/22無量寺阿弥陀如来坐像山際バス停をチェックしたあと、これまた以前の通勤路沿いに看板が出ていて気になっていた、箕輪町東箕輪にある浄土宗のお寺、無量寺の阿弥陀如来を見に行った。
着いてすぐに気になる看板を見つけたので見入っていたら、境内をほうきで掃いていた若い女性が「見学ですか?」と声をかけてきた。看板は後回しにして、先に阿弥陀如来を見せてもらうことにする。住職の奥さんらしいその人は、さっき車を降りたときに、駐車場の続きにある滑り台などの遊具で幼い子供と遊んでいた若いお坊さんに見学者が来たことを告げて子守を交替した。若いお坊さんかと思ったその人がこの寺の住職らしい。見たところ僕よりだいぶ若い感じだな。
文化財の撮影は許されていないところが多いけど、ここでは写真撮影 OK とのこと。本来なら手を合わせるべきところだろうけど、住職が横に立っているところでにわかにそんなことをしても不信心が露呈するだけのような気がして、あくまで見るだけにする。だいたい、自分の家が檀家になってる寺でしか手を合わせたことないしね。
阿弥陀如来の鑑賞はこれくらいにして礼を言ったあと、気になる看板に戻る。お寺なんかにある手書きの案内書きの文字にはなかなか魅力的なものが多い。
ここでは以下の4文字をピックアップ。
「者」、「教」は、今まで何度も見ているのだけど、割りとデザイン差かな?と言うものが多くて保留にしてきた。今回は取り上げることにしましょう。「箕」は細かいけど「其」の縦棒2本が上に突き出ていない。
以下の4字を:
「庭」は「壬」が「王」になっている。細かいけど、その部位だけ取り出したときに別字が存在する場合って、やっぱり見逃せないので。
以下の8字を:
「年」は手書きでは頻出。 まだ続きます。
鐘楼の柱に掲げられたもの。「煙」のつくりの上側が「西」になってるものは、個人的にはよく見る。どこで見るかというと、うちの車で。つまりは親の車なんだけど、助手席前のダッシュボードのところに赤い字で「禁煙」と書かれたプレートが貼られており、車を買い換えた際も、このプレートだけは常に次の車に引き継がれているのだ。僕自身は子供のときから見ているため違和感を抱くことはなかったのだけど、親の車を借りて他人を乗せたときに、必ず「禁煙……(苦笑)」と口に出して読まれるため、確かに普通ないよなと自覚した記憶がある。
ここでは以下の2字を取り上げましょう。
「祷」は、つくりの「寿」だけ取ってみれば、辞書にも記載のある俗字だと言うことをあとから知った。 というわけで、長ったらしくなってしまったけど、なかなか魅力的なお寺でした。
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