2005年10月〜11月に行った沖縄旅行で撮った写真のうち、ケータイで撮ったものを選んで掲載。
波照間の集落(島中央部)で見つけた、方言による交通安全立て看板。集落内の「幹線」に沿って立てられていたもの。集落内の細い道もほぼ歩き尽くしたと思うけど、これ以外には見つけられなかった(八重山毎日新聞2005年5月28日の記事(追記:リンク切れ)によれば、全部で5つあるとのこと)。
ついつい声に出して読んでしまう、「ピコハン!」
|
|
|
クワズイモは、与那国に行ったときに現地の人が違う名前で呼んでいたような気がするのだけど……。なんか「ん」で始まるような名前。ウェブで調べた限りでは、方言名に「ンバシ」というのがあるらしい。ただ、その人は「○○○イモ」と、語尾に「イモ」が付く名前で呼んでいた。
右端は葉全体のうち、茎に近い部分だけが赤い。
いずれも竹富島じゃなくても生えているものだよなぁ……。
おまけ - 人面岩 (追記:2006年2月22日)
手持ちのガイドブックによると、島内のバスは久部良郵便局前から祖納地区や比川地区に出ているとのこと。というわけで、郵便局の周りをうろうろしていたけど、バス停らしいものが見当たらない。仕方なく郵便局の人に聞いたところ、川の反対側を指さして、「あそこに丸いのが見えるでしょう? あれです。」の結果が、これです。川べりの柵に鍋のふたがくくりつけられ、ペンで時刻表が書かれていた。
左の写真は、与那国滞在中、ケータイの待ち受け画面にして時刻表として利用した。
追記:「ぴょんちゃんのトラベルシューティング」内のコンテンツ「八重山ドラマティックアイランズ(与那国島・小浜島旅行記)」の2004年9月8日分(その5)によると、2004年9月当時は鍋ぶたではなく、バケツのふたが使われていた模様。
いずれも祖納で見つけた。左は比較的新しい家屋の塀にあった。右は丁字路のつきあたりの古い垣にあったもの。どちらも初めてみる文字遣い。「石巌當」はのちにどこか(本島?)でもう一回見た気がする。
ヨナグニサンを中心に扱った博物館「アヤミハビル館」で標本を見た記憶があって、ものすごく珍しいのでは?と慌てて撮った。のちに民宿で一緒になった、蝶捕りで与那国に来たという人に聞いたら、「あぁ、オオゴマダラですね、……(以下略)」とマダラチョウを取り巻く詳細な情報をいただいた(が、見たところ、まだしゃべり足りない様子だった……)。決して見慣れないものではないらしい。のちに波照間でも一匹見たし。
もっと撮る角度を工夫すれば良かった……。何枚も撮って唯一見られる写真がこれ。
泊まった民宿の前庭の花壇にあった。小さい葉っぱもみんなこの模様。
石垣から那覇に戻るフェリーが一時寄港した宮古にて。足下に手作りの石敢當が(左側の写真から見ると反対側)。手書きの場合、「當」が「当」になってるものをその後も何度か見た。
今回の旅で唯一最高の日没が見られたのが、その、一時寄港した宮古島平良港の、自分が乗ってるフェリーの甲板からだった。
水平線上右側は伊良部島、左側は宮古島の、平良港より南側の部分。
残波岬の岩場にあった看板。
残波岬からそう遠くないところにある城跡。
ここを見学した後、体調を崩して寝込んだ。