この17、18日と、昨年来計画していた京都旅行にようやく行ってきた。いったんは去年の12月初旬に行く予定を立てたのだけど、動き出すのが遅すぎて紅葉見物の客にホテルを先取りされてしまって断念。と言うわけで、今度は年明け早々に動きを取り、この時期になって行くことが出来た。
メンバーは、10代の女の子3人を含む全部で8人。免許取り立ての1人を除く、男4人が交互に運転しての、レンタカーによる旅だった。
1日目は、メンバーの一人から挙がった西本願寺、東寺、三十三間堂に、僕が勝手に壬生寺を付け加えてスケジュールを立てた。彼とその兄の2人が非常に新撰組に熱かったし、僕も決して関心がなかったわけではないので、ゆかりの地が西本願寺だけだと物足りないんじゃないかと思って……。
で、最初に行ったのがその壬生寺。ネットで地図など見ていたから、細い通り沿いにあることは予想していたんだけど、今回借りた車(ハイエースグランドキャビン)では路地を曲がるのも大変。ましてや駐車場は近くの狭小なコインパーキング。やっとの思いで車を納めて壬生寺へ……。
壬生寺は前述の通り新撰組ゆかりの地と言うことで、感激する兄弟。なんせ運転の腕に覚えがある彼らに京都市内での運転のほとんどを任せてしまったので、こんな隘路を運転させたことに、目的地選定を誤ったかと少なからず罪悪感を抱いていた僕としては一安心。
境内横には「壬生塚」と呼ばれる新撰組隊士の墓もある。僕でも知っている「芹澤鴨」や「河合耆三郎」の名前に思わずシャッターを切ってしまったが、これらの墓石や像は最近建てられたもので、歴史的に大して価値はないよね。
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むしろ重要なのは、この地に彼らがかつて立っていたという実感だろう。僕なんかは新撰組に関しては大河ドラマくらいの知識しかないのだけど、群像劇として彼らの軌跡をたどることなんかには興味はあるものの、彼らがやっていたことって、明治維新前夜の日本の歴史の大きなうねりのなかではただの侍ごっこに見えてしまうってのが実感なんだけどどうだろう? ただそれでも、そう言う彼らが存在した場所に立っているってこと、そういう歴史が現在とつながっていると言うようなことを考えたときには感慨深いものがあった。
ところで、ほんとに行ってみるべきは壬生寺の隣にあった、新撰組発祥地だったのだろうけど、拝観料1人1,000円は僕らにはちょっと抵抗があり、表だけ見て通り過ぎてしまった。
そして再び車に戻ると、狭い路地を抜けて次の目的地、西本願寺へ……。
残念ながら西本願寺は親鸞聖人750回大遠忌とやらに向けて、改修工事中だった。
境内の南東に位置する飛雲閣に行こうと言うことになったのだけど、アクセス方法が分からず断念。修復工事中の立入禁止区域を通らないと行かれないと言う結論に達して諦めたんだけど実際はどうだったんだろうか。
そして新撰組との絡みでは、北集会所と太鼓楼だけど、残っているのは後者のみ。
外から見ただけだったので、新撰組ゆかりの地と言うことでは、壬生寺にも行っておいて良かったな、と言う感じか。
そして次なる目的地、東寺へ……。
東寺の南東の角近くのコインパーキングに車を止めて、近くのお店で昼食。事前にネットで目を付けていた「食彩工房 団居(まどい)」。日替わり定食で出てきたフライの魚が何なのか確認しなかったのが惜しまれる。フグみたいな不細工な白身魚を丸ごとフライにしたものでなかなか美味しかった。他の付け合わせは可もなく不可もなしって感じか。
そして、東寺南東の交差点からの五重塔の眺め:
東寺に関しては、五重塔しか知らなかったんだけど、なかなか広い境内に国宝・重文に指定された建物や仏像など、見るべきものは多い。金堂・講堂内部の薬師如来、大日如来などは一見の価値あり。
五重塔、金堂、講堂などの中まで行くには拝観料800円の支払いが必要だったけど、こちらは迷わず購入した。五重塔の中では丁寧な解説もあり興味深かったのだけど、メンバー8人中5人は説明の途中ではや外へ出ていたらしい。解説が終わって外に出たとき撮った下の写真、僕も気付かなかったんだけど、5人が談笑する姿が図らずも写っている……。
1日目最後の見学場所が、三十三間堂。中学校の修学旅行以来で感激。
う〜む。正面から撮影してみたものの、コンパクトカメラでは広角に撮れないため、何の建物を撮っているんだか分からないな。堂の周りを一周してから中に入る。
中の千体千手観音像に自分に似たものが必ずあるとかって言われるけど、なかなかないものだ。自分の身近な誰かに似ているものはいくつかあったかと思うけど。
まずまずの良いペースで今日予定していた見学場所を回り、宿泊するホテルへ。